「伝統に敬意を払ったアヴァンギャルド」をテーマに、フランス人にも好まれるつまみ細工を展開  つまみ細工作家 小田彦三郎さん 

つまみ細工とは江戸時代中期に生まれた伝統工芸で、正方形の布を畳んで糊付けする、単純な作業から動植物などを作るもの。「伝統に敬意を払ったアヴァンギャルド」をテーマに、つまみ細工作家として活動する小田彦三郎さんに、作家としての活動歴、パリ展示会出展の思い出、今後の抱負についてお話を伺った。

町娘のような着物に似合う簪が欲しくて、つまみ細工を作り始めて

つまみ細工を始められたきっかけは?

元々時代劇が好きで、2003年に江東区深川に引っ越したことをきっかけに、町娘のような着物を着たいと思うようになり、骨董市で着物を買って、週末に着物を着るようになりました。

深川といえば、江戸文化、下町のイメージがありますね。

はい、そのうち銀座や日本橋にも足を伸ばして着物姿で散策するようになりました。時代劇の中で町娘がつけているような簪が欲しいな、と思って探したのですが、七五三や成人式向けの赤やピンクの簪ばかりで大人の女性向けのものが見つからない。ある日、六十過ぎの着物姿のご婦人が孫から借りたの?と思えるような簪を刺しているのを見て、「これはいかん!」と自分で作ることを決めたのです。

職人さんに弟子入りされたとか?

いえ、つまみ細工伝統工芸士の作品展に出かけ、作品を購入し、それを見本に作り始めました。そのうちに自分で作ったつまみ細工のかんざしを付けていると「どこで買ったの?」と聞かれるようになったので、作って人にプレゼントしていたところ、「これ、売れるんじゃない?」と言われるようになりました。


(小田彦さん作 つまみ細工の簪)

元々、モノ作りやお裁縫は得意だったのですか?

私は三姉妹で、母が娘の洋服を手作りしていたので、家に余り布がたくさんあって、それで子どもの頃からリカちゃん人形の服を作ったりしていました。
20代の頃に半年間ほど、テディベアを作って、国分寺の一坪ショップというレンタルスペースを友人二人と借りて、そこで販売していたことがあります。友人たちはガラス製オブジェやドライフラワーやリースを置いたり、とセレクトショップのはしりのような店でした。

モノを作って自分で販売するという活動は若い頃からされていたのですね。

そう、それでつまみ細工のかんざしも神社の境内や街中の広場で行われる、手づくり市やクリエーターのフリマで販売するようになりました。2004年頃にネオ着物ブームが起こり、春日にある古民家で月に一度行われていた「乙女櫻着物フリマ」にも出展していました。


(西陣織の布を使った「大奥」シリーズ)

食べ物が美味しいパリの虜に。アパルトマンを借りて3ヶ月滞在したことも

パリの展示会ではビズのブースで出展していただきました。その時にパリの美味しいパン屋さんとか、おしゃれな店にとても詳しくて、パリ通の印象を受けました。パリとの関わりはいつ頃から?

初めてパリに行ったのは、短大を卒業して間もない頃です。友人たちと一緒にドイツ、フランス、イギリスを回ったのですが、フランスの第一印象はとても悪くて(笑)。フランス人は感じ悪くて、英語で何かを尋ねると返事もしてくれない。
その後、26歳で勤めていた会社をやめて、3ヶ月ほどの間にロンドン、パリ、バルセロナに滞在しました。パリでは5区にある1つ星ホテルの屋根裏部屋に
長めに滞在したのですが、そこで初めて、フランス人には英語ができない人がいて、返事をしないのは英語が分からなかったからだ、と気づいたんです。それで、相手が英語を話せないと分かれば、身振り手振りでコミュニケーションを取るようにしたら、親切に接してくれるようになりました。あとは、とにかく食べ物が美味しくて、特に私はバターやチーズなど乳製品が好きなので、パリの虜になりました。

その後、何度もパリに行くようになったのですね。

はい、派遣会社に登録して東京で3ヶ月働いて、パリに2〜3週間滞在するという生活を繰り返していました。一度、ヴァカンス時期のフランス人のいないパリで、フランス映画「アメリ」に登場したカフェの近くのアパルトマンを借りて3ヶ月近く滞在したこともありましたよ。

パリの展示会に3年続けて出展し、フランス人リピーター客も付いて

その頃からいつかはパリでつまみ細工の作品を展示しようと計画されていたのですか?

いえ、それはもう少し後になってからです。東京で正社員として会社勤めをすることになって、もちろんつまみ細工作りは続けていました。2008年頃からブログを始めて、そこで作品紹介などもしていたのですが、それがパリの展示会のコーディネートをしている日本人アートディレクターの目に止まり、出展を提案されたのです。それで2011年冬に初めてパリのオペラ地区で行われた展示会イデ・ジャポンでつまみ細工作品の展示販売を行いました。


(パリで人気の高かった、コサージュ作品)

手応えはいかがでしたか?フランス人客の反応は?

フランス人のお客様は、初めて見るつまみ細工にとても関心を持ってくれた様子で、「つまみ、ってどういう意味?」とか「素材は何?」、「どうやって作るの?」とか色々質問されました。日本に興味のある人が多くて、例えば「Edo(江戸)」と言うとちゃんと知っているので驚きました。

同じ展示会で2012年、2013年はビズのブースに参加していただきました。その時にはもう、フランス人客のリピーターが付いていましたよね。

そうなんです。初出展の時に購入してくれたお客様がその後も来てくださるようになって。日本が好きな高校生、マレ地区在住のアーティスト、会場近くの図書館に勤めている方、着物姿のパリジェンヌとか、色々なタイプのお客様がリピーターになって下さって、「次はいつパリに来るの?」ってメールが届くこともありました。

(作品を購入してくれたフランス人のお客様たち)

パリでは簪に限らず、ブローチやイアリングなどに仕立てた、洋服にも合うつまみ細工アクセサリーが人気でしたね。

はい、クリスマスパーティでドレスアップした時に身につけるアクセサリーとして購入される方が多かったですね。
日本的なモノなのにフランス人にも好まれた、認められたんだ、と自信が持てました。
ただ、その後は会社で役も付き、仕事が忙しくなり、パリに行けなくなって残念でした。

予定より早く会社を辞め、つまみ細工作家として独立

2019年につまみ細工作家として独立されましたね。何かきっかけがあったのでしょうか?

勤めていた会社を辞めたのは2018年の夏です。本当は六十歳で定年退職してから独立するつもりだったんです。ところが、自分よりも一回り若い同僚が癌になり、同世代の知人が脳溢血で倒れるのを見て、自分が六十歳まで元気でいる保証がないと感じました。管理職になり仕事が忙しくなり、長時間労働が当たり前になって、やりたいこともできず、ストレスが溜まって・・。心身のメンテナンスにリンパマッサージに定期的に通っていたのですが、その費用もばかにならず、これはおかしい、と。飼っていた犬が病気になったので、なるべく一緒にいてあげたかったこともあり、予定より早く退職しました。

二足の草鞋を止めて、つまみ細工一本に。

実は会社を辞めてから開業するまで、1年間はアルバイトをしながらもぶらぶらしていました。個人事業主として登録した後も、派遣で週3日働き、2020年11月に犬を看取りました。その後もコロナ禍で、パリに行くこともできないし、つまみ細工を販売できるようなイベントも無くなっていたし。
でもどこかでちゃんと線引きをしないといけない、と思って、去年9月に引越しをして、それから住居と仕事場を分けるために、神楽坂に事務所を構えました。現在はつまみ細工の委託販売、オーダーメイドの対応のほかに、事務所でつまみ細工教室も開いています。


(つまみ細工教室)

本格的にクリエーターとしての活動に集中されるのですね。これからの抱負なども聞かせてください。

去年、古物商の資格も取得したので、今後はつまみ細工に限らず、古布を使ったテディベアなど新しい作品を展開していきたいと考えています。コロナ禍が収まったら、もちろんまたパリに行き、展示会に出展して、リピーターさんたちや現地のクリエーターさんたちと再会したいですね。

小田彦三郎さんのHP
https://odahikos.jimdofree.com

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