フランスにいた自分だからできることを持ち味にする

ポートレート写真家・カフェ経営者 若山和子さん

カンヌ映画祭などでポートレート撮影の仕事をする若山さん。18年間のフランス生活の後、2013年に二人の娘を連れて帰国。
現在、文京区谷中で、ケープルヴィル写真館&カフェを経営し、フリー写真家として活躍中。

フランスに住み始められたのはいつからですか?また、そのきっかけを教えてください。

—1995年です。2年間ボストンで写真の勉強をしていましたが、アルル国際写真フェスティバルに行きたくてフランスに。パリ郊外にある国立美大を受けたら合格しました。日本の大学では仏文学を専攻していたので、受験の書類も面接もフランス語でした。
当時アメリカでは学費が年間100万円相当で、フランスの国立はたった2万円程度。迷わず、移住しました。

勉強を終えて、すぐにフランスで写真家として仕事を始められましたよね。

—日本で大学を卒業した後、映画配給会社の国際部に勤務していました。まずそこからカンヌ映画祭で監督や俳優などの撮影依頼が来て、その後、他の映画関連会社から仕事が来るようになって。フランス在住の日本人カメラマン、しかも配給会社にいたので映画界のルールが分かっていることが重宝がられたのだと思います。フランス人カメラマンの夫と結婚したので、労働ビザも取得できました。

20年間の海外生活をして、日本帰国を決められた理由は?

—東日本大震災ですね。ショックを受けて、フランスで生き残るより日本で死にたいと思うようになりました。イスラエル人の友人が「祖国を失う恐ろしさはよく知っているから、そう思うなら帰国した方がいい」と言ってくれて。フランス人は「放射能が危険だから帰らない方がいい」という意見が多かったですが。夫には1年間だけ一緒に日本に住もうと提案して、本人もそのつもりで準備していましたが、戻って来たら仕事がないのではという不安もあり、結局、別居ではなく、離婚ということに。当時、二人の娘は5歳と8歳で「ママが行くなら」と日本に行くことを決め、夫もそれに反対しませんでした。

カフェケープルヴィル

もどってすぐにケープルヴィル写真館&カフェを開店されましたね。

—沖縄三線のクラブで知り合った料理人が一緒に店をやらないかと誘ってくれて、共同経営すること。店の経営は二人とも初めてで、立ち上げからたいへん。オープンしても知り合いしか来ないし、どうすれば人が来るのかを一から研究しました。食べ歩きをして、素材を見直したり、新しいソースを作り出したり。最初の1〜2年は厳しかったけれど、二人で一緒に試行錯誤して、正直、私一人だったら続かなかったかもしれません。

進化系かき氷

オープンして5年、今では、人気店として知られています。

—本気で取り組む、それから自分のテイストや趣味を押し出す、そうすれば人が集まって来ることに気がつきました。
かき氷一つとっても、いい抹茶を選び、シロップもフルーツを潰して作るところから始める。「ほかの店ではやっていないだろう!」という自負ですね。すると、お客様だけではなく、経験豊かなパティシエが「手伝いたい」と言ってくれたり。カフェのイベントも自分が楽しめるもの中心です。聞きたいと思うミュージシャンのコンサートとか。ワイン会も開いていますが、私自身ワイン学校に通って、店にもこれは!と思うワインを置きます。少し高くても、いいワインはお客様が注文して下さいますね。

若山さんが手がけた作品
フレンチテイストの感じられる写真集

写真に関しても、フランスに住んでいた自分だからできる、他の日本人写真家が撮ったものとはどこか違う、言葉では表せないフランスらしさを自分のもち味として押し出しています。自分の作品を店に飾れば、そのテイストを気に入ったお客様が来てくれるし、アシスタントにしてほしいと言って来た女性が、今、一緒にここで働いています。
誰にでも受け入れられるものより、自分のテイスト、趣味を押し出した方がお客様と相思相愛の関係が築けて、自分も楽しく仕事がうまくいきますね。

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